なみだ(1956)

畦地梅太郎が本格的に抽象画に取り組む前の作品です。サイズは小さいものの、とても存在感のある作品です。

岩と人(1958)

畦地梅太郎の抽象画の作品の中でも、初期の作品です。この時期には、同じようなタッチの作品が多く制作されています。

山におどる(1958)

畦地が抽象画作品の制作を始めたころの大型作品で、大変迫力のあるものになっています。人物の中に描かれているのは、テントでしょうか?花畑でしょうか?

望郷(1959)

そのタイトルのとおり、自らの胸の中にある故郷への想いを題材にした作品です。

土地の管理人(1959)

自らの土地で私道をめぐる揉め事があった時期に制作された作品です。ただ、その揉め事を巡る畦地梅太郎の考えがこの作品にどのように反映されているのかは、私たちにもよく分かりません。

青凍(1960

畦地梅太郎の作品の中でも、自身の内に秘めた鋭さが表れている作品です。約70×45センチとかなり大きくダイナミックな作品となっています。畦地自身は、この作品の制作当時のテレピのインタビューの中で、自分が好きになった青い色で、山の大気で凍っている氷の青さを表現し、絵の中央にある点々は、自身が歩いたアイゼンの跡であると述べています。

凍土(1961)

青凍とほぼ同時期に作られた作品で、青凍と対をなすような作品となっています。畦地梅太郎自身は、冬山登山の経験は少なかったのですが、数少ない経験の中から感じたことを描いた作品だと思われます。

冬山の顔(1961)

愛媛県御荘町(現愛南町)の御荘文化センターの緞帳(どんちょう)の原画になっている作品です。

冬山の像(1961)

山そのものが描かれているようにも、山が擬人化されて描かれているようにも見えます。

白い流れ(1962

畦地梅太郎の抽象画の作品の中でも、大きな作品になります。自身の作品について多くを語ることはない作家でしたので、今からでも、それぞれの作品に込めた考えを聞いてみたくなります。

雪の目玉(1962)

「白い流れ」と対をなす作品です。畦地は、雪山の中にも何か「生きている」ものがあると感じ、この作品を制作したのでしょう。

五月の空(1962)

抽象画作品の中でもシンプルですっきりとした印象の作品です。背景の色がグリーンの作品もあります。中央上部の赤い帯は、こいのぼりのようにも見えます。

山のある日(1963)

「ある日の山」というタイトルが付いていることもあります。山道とその先にある情景を抽象的に描いた作品であると思われます。

残雪の道(1964)

山々や融け始めた雪、曲がりくねる山道が描かれた抽象画作品です。その色使いからは、いまだ寒さが厳しい山の様子が感じられます。

赤い帽子(1965)

畦地梅太郎が精力的に抽象画作品に取り組んだ時期の中でも遅くになって製作された作品です。他の抽象画作品とは、若干趣きが異なっています。赤く描かれた帽子がどこかかわいらしく見えます。

季節を歩く(1977

東海大学から発行されている『望星』という雑誌の表紙に用いられた作品です。

明るい緑(1977)

これも「望星」の表紙として制作された作品です。広がるみどりの中に、暖かく照らす陽が描かれています。

高さを思う(1977)

同じく「望星」の表紙として制作された作品です。74歳の時に制作された作品ですが、既に山に登ることができないものの。なお山を思う気持ちを窺うことができます。

感じ入ったこと(1977

これも「望星」の表紙として制作された作品です。真ん中に目のようなものが描かれ、そこから線路のようなものが走っています。畦地は何を感じたのでしょうか?

山の出会い(1977)

同じく「望星」の表紙ととして制作された作品です。人物が手を上げて挨拶しているように見えます。