レモン(1930)

畦地梅太郎が28歳のときの作品で、創作初期の頃にはこうした作品も多く制作していました。この頃は、自らの師の作品の刷りの仕事をしながら、自らの創作活動を行っていました。

田植え(1957)

畦地梅太郎が日産自動車から依頼を受けて作成したカレンダーの原画の一つです。田植えを描いた作品があるということに驚かれる方もいらっしゃるかもしれません。

海水浴(1957)

同じく日産カレンダーの挿絵となった作品の1つです。楽しそうな様子が今にも浮かんできそうな作品ですが、その制作には、相当苦労があったようです。

白い像(1958)

人物画や山男の画としてとらえられることも多いのがこの作品です。しかし、本人によると、下半分の木々(樹海)は下界を、上半分は3,000メートル級の世界を表しており、人物や山男をモチーフにしているわけではないようです。摺りの時期によって、像の顔や背景が異なっています。

宗教家の像(1960)

作品にもあるとおり“Dr.Kagawa"という題名が付されていることもあります。キリスト教の牧師である賀川豊彦氏を描いた作品で、彼の死後に制作されたものです。おそらくどこかからの依頼を受けて制作されたものであると思われます。 

花火(1961)

1961年制作の小品です。空に上がる花火を見つめながら、三人は何かを語り合っているようです。

白い像(1963)

1958年制作の白い像に比べてかなり小さいサイズになった作品です。表情もどことなしか可愛らしくなっており、「小さな白い像」として、多くの方に愛されている作品です。

山の太陽(1964)

元々は、愛媛県の民放・南海放送が発行する社内誌の表紙の原画として制作されたものです。当時の畦地梅太郎は、こうした原画も木版画で制作していました。

樹海をとぶ鳥(1967)

ベトナム戦争においていわゆる“北爆”が激化した1967年に制作された作品です。飛んでいる鳥は爆撃機を、下の木々はベトナムの密林を表していたそうです。静かな反戦のメッセージを宿した作品といえるでしょう。

遠い山(1968)

創文社から出版された版画集「山のつぶやき」に収められている作品の一つです。カタツムリにとっては、遙か彼方にある山は、さぞ感じられることでしょう。遠い目標にゆっくりながらも進んでいった自らの姿を描いていたのかもしれません。

牛のいる風景(1988)

元々は、畦地梅太郎がガラス絵で制作していたものを、木版画に起こした作品です。ガラス絵らしい構成が特徴的です。