「山湖」は、山と渓谷社から1949年に刊行されました。この版画集には、畦地梅太郎の師の一人である前川千帆先生による次の序文が寄せられているほか、それぞれの作品に、畦地によって文章が添えられています(各作品の後ろのコメント参照)。序文と各作品に添えられた文章の文字は、すべて畦地梅太郎の木版によるものです。



 ほとんど唯一人といつていゝ山の版画家、畦地君の精進は、正に版画界第一の山の作家として了つた。
 由来山を畏れ山を愛し、日夜山を思慕する畦地君は克く山の意を得山の言葉を知る唯一人である。
 山頂に跪いて天空の深きを、山稜の美しきを嘆美して来た山の作家が、茲に今までの視野を轉じて、山懐ろの山の湖の神秘を、幽邃(ゆうすい)な美しさを、永遠の静境地を机上に表現することになった。
 甚だ面白いと思ふ。これは山に対する作家の敬虔な感情の記録であり、山を愛する作家の逞しき足跡である。洵に愉快である。この意味に於ても作家近業の版画山湖は、山を愛する山の友に、又山を憶ふ若き人に悦ばれるであろう。理解ある人は知己となつてあげて欲しい。友人畦地君の為に希求するものである。
 昭和廿四年元旦 前川千帆
 畦地梅太郎版 山と渓谷社刊

大野原小松池

ゆるやかな起伏をもつ予土国境のこの高原はやがて開こんされるといふので友と共にはじめてのぼり池のほとりをさまよい歩いた

渋峠の小沼

沼とは名ばかりかたわらの小屋は夏は無人その小屋に一泊したが先年焼失していまはない

大正池

あまりに有名で今は都會の一部分のようなものしかしこのあたりをさまよえばこれはまたかくべつである

戸隠古池

樹林と雑草をわけ入り幽すいの気みなぎる四辺私はしばし湖面にみとれ立ち去りかねた

河口湖

御坂峠上で幕営朝つゆにぬれて湖畔に立つたころはすでに渡船は湖面をすべつていた

志賀高原ビワ池

スキーヤーの極らく境であるスキーのできぬ私は一苦労も二苦労もして雪の高原え(注・原文ママ)たどりついた