山の釣り人(1964)
元々は、伊藤正一氏の著作『黒部の山賊』の表紙の原画として制作されましたが、後に単独の作品としても頒布されました。釣竿を持った山男を描いた珍しい作品です。
白い山男(1964)
どことなく可愛らしい山男が描かれています。非常にシンプルな構図ながら、とても人気の高い作品です。
山男(1964)
1955年制作の「山男」の一部の版を変えて制作された作品です。このように畦地梅太郎は、過去の作品の一部の改変して新しく作品を制作するということをしばしば行っていました。版画ならではの試みといえるでしょう。
花の季節(1964)
「山人の季節」という作品に版を加えて新たに制作された作品です。右手にはグラスを、左手には花のような物を持っています。抽象画に近い作品ですが、どこかに愛くるしさがあります。背景色がグリーンになっているものもあります。
谷間の声(一)(1966)
畦地梅太郎は、この作品について、「山で自然から起こる不快なもの」がこの作品になったと言っています。山の美しさ、雄大さ、清々しさだけでなく、山のあらゆる面を自分が感じるままに描くことが創作の大きなテーマになっていました。
谷間の声(二)(1966)
谷間の声(一)と同じく山に潜む怪しい気配をテーマにした作品です。著書の中では、「山のあぶなっかしい行動」がこの作品になっていると述べています。
圏谷の残雪(1967)
畦地梅太郎は、抽象画作品の制作に青を多用しましたが、抽象画の時代を経た後に制作した山男作品でも青を特徴的に用いた作品が見られるようになってきます。
ハーケン(1967)
圏谷の残雪と同じく青の色が特徴となっている作品です。この時代の他の作品と同じように単純に描かれた構図が強い印象を与える作品です。
圏谷に立つ山男(1967)
山男の表情と、単純だが大胆に描かれた背景の圏谷とが特徴的な作品です。この山男は、堂々とたたずんでいながらも、どことなく愛嬌があります。
山の音(1967)
山に登る者にしか分からない音。その音を求める山男たちを描いた作品です。
遠い火の山(1967)
畦地梅太郎は、体力的に山に登ることが難しくなり、山を慕う想いを投影したものとして山男作品を描きました。この作品からは、60歳を過ぎた畦地梅太郎のなお火の山を慕う想いが、窺い知ることができます。
山の窓(1968)
谷間の間にある窓から、山男たちが様子をうかがっています。畦地梅太郎らしい大胆な構図が特徴的な作品です。
山男の像(1968)
遠くの山を見つめるかのように立っている山男の像と、そこに留まっている1匹のらいちょう。この時代の作品は、いずれもおもしろい構図のものが揃っています。
季節の山(一)(1968)
「季節の山」は、(一)から(四)までの連作となります。「季節の山(一)」では、雪山にいる鳥を可愛らしい山男たちが見つめています。
季節の山(二)(1968)
次の季節の山(二)では、陽が昇る下で、山にいる山男たちをもう一人の山男が見つめているという構図になっています。
季節の山(三)(1968)
季節の山(三)では、陽の下で山男を雪山の鳥たちが囲むような構図になっています。
季節の山(四)(1968)
季節の山(四)では、雪山にいる山男が高くに止まっている鳥を見つめています。季節の山は、いずれも遊び心にあふれた作品です。
鳥とかたる(1968)
畦地梅太郎は、一人で山を登ることが多かったのですが、静寂に包まれながら山を上ったときに、いきものに出会った驚きとよろこびを描いた作品です。
さけぶ三人(1968)
畦地梅太郎は、この作品で表現した内容について「頂上に登り詰めたことのよろこびだけではない。一つの場所におるとき、自分は大声で、なにかしらさけびたい大きな思いになる。」と述べています(『とぼとぼ六十年』)。
山の道(1969)
1969年制作の作品の一つです。1960年代末から1970年代はじめまでに制作された作品は、ブルーの単色の背景にシンプルに描かれ、頭巾のようなものをかぶった山男が多くなっています。
鳥と道具(1969)
鳥がそばにいる山男は、少し不思議そうな表情をしています。畦地梅太郎は山男と鳥を描いた作品を多く制作していますが、この作品もその中の一つです。
鳥とともに(1969)
この作品に描かれているように、らいちょうが人の肩に乗るといったことは、実際にはないかもしれません。畦地は、一人で登る山の中で生き物と出会ったよろこびを、このように表現したと思われます。