枯木のいさかい(1980)

山林での大規模な伐採や、手入れが行き届かずに山が荒れていくことが問題となった時代に制作された作品です。山の自然に対する想いが込められた作品といえるでしょう。

火の山におどろく(1980)

1980年に畦地梅太郎は、火の山をテーマにして、いくつかの作品を制作しています。1979年に御嶽山で大規模な噴火があったのですが、そのことが題材となったのだと思われます。

火の山の思案(1980)

らいちょうを抱きかかえた山男は、遠くの火の山を見ながら何かを思っています。山へのあこがれかもしれませんし、山へのおそれかもしれません。

火の山の親子(1980)

火の山を背に大事に子供を抱きかかえる山男が描かれています。子供の様子を案じる山男の目が印象的です。

火の山の人たち(1980)

火の山を背に人々が何かを語り合っているように見えます。煙を吐く山のこれからを案じているようです。火の山とそのふもとにいる人々が対照的に描かれています。

水(1980

山男は、大事そうに水筒を抱えながらも、木々の間の鳥を見つめています。大事な水を鳥に与えようか迷っているのかもしれません。

鳥のこえ(1980)

頭の上を鳥に留まられた山男は、困ったような、あるいはまんざらでもなさそうな表情をしています。下にいる山男は、その様子を不思議そうに見つめているようです。

渇き(1980)

手が届きそうで届かないカップの水。どういった想いが込められていたのでしょうか?

山小屋の冬(1980)

上に積もった雪と寄り添う人々が描かれ、いかにも冬の山の寒さを感じさせる作品です。

一人の山(1980)

畦地梅太郎は、仲間と連れだってではなく、一人で山に登ることがほとんどでした。この作品を通じて、一人で山に登る心地の良さを表したのではないかと思われます。この作品に描かれている人物には、ひげもなく、優しい顔立ちをしていることから、女性ではないかと思われます。

山のみち(1980)

山男三人が並んでいるのですが、一番下の山男だけ、口をひん曲げて、違う方向を見ています。どことなくユーモアを感じさせる作品です。

山湖のほとり(1983)

山への想いを抱きつつももう山に登ることができなくなった、という者にとってのあこがれの姿を描いた作品です。今でも大変人気の高い作品です。

窺う(1983)

何を窺っているのでしょうか?インパクトのある作品ですが、どことなくコミカルなところもあり、やはり人気のある作品です。

祈り(1983)

「拝む」というタイトルが付けられていることもあります。畦地梅太郎自身と妻、そして子供4人の合わせて6人を描いているものと思われます。